1月15日
施工者にスクリーンを天井から吊ってもらう。実写作品で作ったプロップのテーブルと椅子も届いた。このテーブルに日本館の模型を設置する予定。あらゆることがギリギリでずっとドキドキしていたが、なんとかなるかも……?と思え始める。
剥き出しの空間にスクリーンが吊られているのを見て、ミース・ファン・デル・ローエが1942年に制作したコラージュを思い出す。アルバート・カーンの航空機組立工場の内部写真を使ったコンサートホールの提案で、ミースはこの巨大な工業建築の写真に、小さな彫刻と、浮遊する音響板を描き加えた。
https://drawingmatter.org/mies-the-universal-space-project/
カーンの工場建築は近代工学の到達点であると同時に、技術がもたらした空間モデルをどこまでも展開していこうとする産業的な野心そのものでもあるわけだけれど、そこに古代エジプトの小さな彫刻の写真を埋め込んでくるのがおもしろい(このコラージュには複数のバージョンがあり、別の彫刻を使ったものも存在する)。どこか呪術的な雰囲気すらあるこの彫刻をなぜミースが選んだのか、詳しくはわからないが、対立的な要素をぶつけようという意思だけは強烈に伝わってくる。ミースのユニバーサル・スペースというと飛行場の巨大なワンルーム空間のほうかと思ってしまいがちだけれど、そこに呪術的なオブジェクトを衝突させようとする態度こそがミースらしい、と思う。産業的なストラクチャーは、むしろ与件でしかなかった。ただし、それだけではない。彫刻と巨大空間のあいだを切断するように配置された幾何学的な面。スクリーン。考えてみれば、このプロジェクトでミースが唯一建築的に介入しているのはこの「中間の抽象性」のほうで、それはモダンにもプレモダンにも属さないものでありながら、両者の併存を可能にする視点、つまり「展示空間」というものを仮設的に生じさせるものだった、のだと思う。
夜、ホテルに戻って缶ビールを開ける。明日は午前中に作業をして、午後にいったん関東に戻る。
1月13日
アシスタントのSさんの助けもあり、午前中のうちにスクリーンができあがってしまう。順調。あるていどのところまで自分たちで作るけど、スクリーンの貼り付け作業は完全に施工者に任せる予定。何か意味があって自主施工しているというよりも、予算が限られているなかでのシンプルな節約。展示場所となる桜水館は京都市美術館の敷地内にあるかなり歴史のある建物で、もともと事務方が入っていた建物のようだ。これが諸々の複雑な事情で、耐震補強の施工の途中で止まってしまっているような状況になっている。仕上げは剥がされ、躯体が剥き出しになり、一部は下地が貼られていて、構造補強の鉄筋が剥き出しになっている。多少無理をしてでもここで展示を実行しようとしたのは完全に青木さんのアイデアで、来てもらえれば、なるほど青木さんらしい選択だと感じてもらえるはず。
1月12日
もうすぐ走行距離10万キロとなるCX-5に展示用の模型や資材などを乗せ、京都に向けて、朝8時に東京を出発。静岡でご飯を食べた後に意識が飛びそうになったので、無理せず次のSAで降りて30分ほど仮眠をとる。三連休の最終日であることを考慮に入れていないわけではなかったが、甘く見ていたことは否めない。結局京都に着いたのは17時ごろだった。
今回アシスタントをお願いしている京都工繊の中本さんの助けを借りながら、展示で使う資材を調達する。シハチのランバー8枚を使って天吊のスクリーンを2枚作ろうとしているのだけど、シハチが全然どこにも売ってなくて大変だった。現場から40分ほど離れたホムセンでなんとか確保するものの、トラックが借りられず、急遽近くのレンタカー屋でハイエースを借りてなんとか積み込む。どっと疲れてホテルにチェックイン。
碁盤の目状の京都だが、車で走るのは今回はじめて。大通りから入ると車にとっては優しくない作りで、見通しの悪い交差点が続き、そのたびごとに一時停止しなくてはいけない。歩いているときにはさほど意識しなかった都市の構造が運転していると強く意識される。ホテルで弁当をつつき、ビールを飲みながら、明日の設営の段取りを組み立てる。
1月11日
新建築書店で「ポストデジタル・ドローイングの現在地」という公開ディスカッションがあった。登壇者は向山裕二さん(ULTRA STUDIO)、寺田慎平さん(w//)、そして自分。モデレーターは北海道大学の松島潤平さんと、彼の研究室でポストデジタル・コラージュを研究している中野馨文さん。僕が知る限り日本でこの分野にいちばん詳しいのはおそらく寺田くんで、向山さんは同世代のトップランナー。襟を正して臨むつもりだったが、当日着ていたトップスにはそもそも襟がなかった。
冒頭は中野さんのレクチャー。2000年代以降のポストデジタル・コラージュの展開をわかりやすく整理してくれる。Dogma、OFFICE KGDVS、falaといった建築家らが、ホックニーやホッパー、映画的な構図などを引用しながら、フォトリアリズムに対抗してあえてコラージュ的なイメージを制作してきた流れが一枚の地図になっていた。学生時代にこの種の表現にもろに影響を受けた身としては単純に嬉しかった。2017年にSam JacobがMetropolisで「ポストデジタル・ドローイング」と名付けたことで、この系譜が運動として自覚された、と。興味深いのは、当初は(当時は)高性能PCがないとできなかったレンダリングを避けるための“やむを得ない選択”だった表現が、やがて意識的なスタイルになっていったことだ。
先行事例として、どうしても写真のことが思い浮かんでしまう。かつて写真の固有性は「かつてそこにあった」ものを写す点にあった。フィルムという物理的プロセスがその痕跡性を担保していたが、デジタル化でそれは崩壊する。それでも写真は死ななかったし、絵画とは依然として区別されている。新しい技術の登場で、翻って既存の媒体の固有性が自覚される、ということはよくあることだ(かつて絵画にとってアナログ写真の登場がその役割を果たしたように)。何がその媒体固有の問題で、何がそうでないのか。デジタル化以降の写真において変わらなかったのは、見る側の態度のほうだ。写真はいくらでも加工可能な不確かなメディウムになったが、依然として僕らはそれを記録されたものとして見ている。この「として」(as)が決定的に重要だ。
てなことを考えていると、どうしてもジェフ・ウォールのセットアップ写真を思い出してしまう。大掛かりな段取りを組んだフィクションであることは明らかなのに、観客はそれを「かつて実際に起こった光景の記録」として一度信じてからイメージに没入する。写真がいまだに有効なのはこの「として」(それを記録として見る観賞のモーメント)を支える態度・制度・約束事が残っているからだ。だからこそウォールやルフの写真はやたらと大きくなるし、解像度は極限まで高められる。リアリティが配置される位置が、写真のなかではなく、印画紙を眺めるこちら側へとシフトしている。
建築におけるポストデジタル・ドローイングもおそらく似た問題を抱えている。かつてリアリスティックなレンダリングが目指していたのは「これがこのまま建つ」という錯覚を見る者に与えることだった。ポストデジタル・ドローイングはその錯覚をむしろ積極的に手放そうとする。しかしそれでもなお、「これは建つものなのだ」という前提、すなわち建築「として」読まれること、は手放していない。この二重性が重要だと思う。この種のコラージュを建築以外のアーティストに見せると「ちょっとオシャレな絵だね」くらいの反応しか返ってこない。絵として見ると、たしかにそう。何も新しくはない。一方で建築をやっている人間が同じ画像を見ると、途端に様々な回路が立ち上がりはじめる。素材や色がもたらす感覚を、どのような構造・構法の裏付けのもとに画面上に配置するのか、それが身体をどう触発するか。そうした実験の場としてポストデジタル・ドローイングは機能している。建つもの”として”見ることを前提とした表現。そう考えるのが一番納得がいく(これはディスカッションをすることで得た知見だ。ありがたい)。
寺田くんがディスカッションの中でこの種のコラージュを「白模型みたいなもの」と表現していたのが印象に残っている。白模型を建築家は表現手段として扱ってはいない。仕上げや色彩を削いだ状態で、ボリュームとプロポーション、光の回り方や動線を検討するためのツール、あくまでスタディだ。ポストデジタル・ドローイングも本来はそれに近いものなのだと思う。建築家だけが共有している「建つものとして読む」というコンベンションを前提にした、悪く言えばかなり内輪な表現手法なのだ。だから、この内輪性を忘れたまま「新しい表現」「流行ってるやつ」として使いだした瞬間に、たちどころに陳腐なスタイルの消費に堕ちてしまう危険性がある。が、あくまでスタディの一環として考えるならば、すなわち描くことと設計することの循環のなかに位置付けるならば、この種のイメージ(の制作)はまだまだ有効だと僕には思える。すでに完成した建築物を再表象する場合であっても、その行為が次のプロジェクトにつながっていくならば依然として有効だろう。
1月10日
昨日もちらっと触れたけど、昔からヒューマンビートボックス(HBB)の動画を見るのが好きだ。HBBの音楽的な面白さは「人間味の配合率」がリアルタイムで激しく変動し続ける点にある、というようなことを以前インスタグラムのストーリーでもぼやいた。具体的には、例えば「子音(破裂音・摩擦音)」と「母音(声帯振動)」に注目すると、前者は機械的・非人間的な音響を、後者は人間的・有機的な音響を担うことが多い。子音中心にするといわゆる「硬い」ビートになり、単に声によって楽器を模倣するだけならそれがベストな気もするが、興味深いのはビートボクサーたちが子音で組み立てられたビートに対してしばしば母音の響きを混入させることだ。直感に反するようだが、この「人間味(母音)」の混入は、結果としてビート(子音)の非人間性を際立たせる。HBBにおける「ヤバい」音というのは、物質と人間性が高密度かつ高速でせめぎ合う緊張関係のなかに発生している。とはいえ、そんな単純な話でもないのだが。
1月9日
ひとりでエレベーターに乗っているときやひとりで運転しているときになんとなくすることといえば、ヒューマンビートボックスの練習である(人前では絶対できない)。ひとりでエレベーターに乗る。扉が閉まる。プスクス音をだす。扉が開く前にやめて真顔に戻る。コレね。
最近はハービーのウォーターメロン・マンの冒頭のアレをかなり高い精度でできるようになった。アウトワードでトランペット音、からのインワードの声、で良い感じになる。そのうちあのイントロのメロディが頭を離れなくなってしまったので、Spotifyで最近リリースの曲を流したら、メセニーの新譜が流れてきた。以前サンチェスやメルドーとやっていた実験的なトリオ作品の最新版っぽいが、クリス・フィッシュマンとジョー・ダイソン…? ダイソンは知らない人だし、フィッシュマンはルイス・コールとかサム・ウィルクスとか、そのあたりの人という認識。メセニーまだまだ元気だなぁと元気をもらう。そのうちサム・ゲンデルとのデュオ作品とか出してきそう。
1月8日
寒すぎる。日立が寒いのか世の中が寒いのか判断がつかない。そういえば日立に引っ越す前は「平均気温は冬でも暖かめで過ごしやすい」と言われたが、今思えばあれは全然正しくなかった。完全に嘘の情報ではないのだけど(たしかに気温だけみるとそうなのかもしれない)、海沿いで風が強いので、体感としては相当寒い。「平均気温は冬でも暖かめ」までは合っているが、「過ごしやすい」が間違っている。「平均気温は冬でも暖かめ」と「過ごしやすい」のあいだにある「風がめちゃ強い」が意図的に隠蔽されている。雪が積もった地元の富山の冬のほうがむしろ暖かかった気さえする。かまくらのなかは思いのほか暖かい。寒さを生じさせるのは気温ではなく、むしろ風の有無なのだろうか。風を完全に遮る性能を持った上着(フリースやダウンベストの上に羽織れて秋春も活躍しそうなもの)があればいいのかも。探してみよう。
1月7日
帰国展の準備。迷走していた証明機材の選定も終えて、模型制作に本腰を入れる。
もともとヴェネチア・ビエンナーレ日本館でおこなわれた本展は、4chのヴィデオと14chのスピーカーで構成されるインスターレションだった。日本館の構成要素ら──〈穴〉〈壁柱〉〈四周壁〉〈ペンシリーナ〉〈煉瓦テラス〉〈動線リング〉〈イチイの木〉──がそれぞれの視点をもつと仮構し、この要素群と人間の自然言語による「対話」を映像と音による約17分間のインスタレーションとして展示した。14個のスピーカーは現場に現に存在するアクター(発話する日本館の構成要素)の地点に置かれていて、まさに目の前の要素がしゃべっているようなものとした。が、今回の帰国展の最大の問題は「日本館ではない場所での展示である」ということに尽きる。壁柱や穴といった「日本館の実際にそこにある要素」から声が出るという構造は、そもそも現物がないので成り立たない。
ということで、アクターの模型を制作・配置し、各アクターの専用照明が発話に合わせて点灯するというシステムを組めばいいのではと考えて今に至る。素材はスタイロフォームで、模型自体のテクスチュアはできるだけ簡素に、控えめに。多分の照明によって背景にうつる影こそが重要。意外と?見たことのないものになるだろう。ある程度シミュレーションはしているが、多くのことは現場で判断すると思う。
1月5日
昨日からいったん東京に戻っている。家族を回収するため埼玉に寄ったところ、路肩に雪が残っていて驚いた。スタッドレスをはいていないので、もう少し積もっていたら危なかった。東京や埼玉はこの時期いつも快晴だ。平野の内陸部特有の明るさがある。今日は藤倉と一緒に美術批評家・キュレーターの近藤亮介さんと神保町のカレー屋「マントル」で落ち合って近況をあれこれ話す。近藤さんレコメンドのこのカレー屋だが、スパイシーだがしょっぱすぎず、甘すぎもせず、日本人向けにチューニングされていない味でとってもおいしい。なぜか頭には、日立郊外にある、砂糖で味付けしたようなやたらと甘いさらっさらのカレー屋がちらつく。明日日立に戻るからか。その後、レモン画翠でヴェネチア帰国展用の模型素材を買う。グレーのスタイロをたくさん抱えてレジに持っていくと、「足りたかな? がんばってね」と声をかけられた。時期的に卒制で敷地模型を作ろうとしている学生と思われたのだと思う。僕ってまだ大学生に見えるのか、と、たいへん嬉しくなって上機嫌になる(これで上機嫌になるということがおっさんになった証拠だろう)。大学の事務方のみなさんにもいつも学生として対応されているが、毎回とくに修正していない。
1月3日
日立でヴェネチア・ビエンナーレの帰国展の準備。展示で使う照明機材を探すのだが、思ったようなものが見つからず、ブラウザのタブが延々と増えていく。いったん諦めて、CADを立ち上げて、日本館の模型を作るための図面を引き始める。学生のあいだはずっとVectorworksを使っていたのだけど、茨城大学着任以降はAutoCADがメインとなっている。本学がVectorworksの学生・教職員用の単年度版(年間1万円程度だったか)を使うための枠組み(OASIS)に加入していなかったからだ。正規版を買う余裕はなかった。しかしついこのあいだ、2024年ごろからVectorが学生・教職員の無償化を始めていたことを今さら知り、久しぶりに使ってみようと導入した。びっくりするくらい使いやすい。単に手に馴染んでいるというだけではなく、このソフトがいかに直感的な操作に特化しているかを再認識する。AutoCADはもちろん悪くないのだけど、Vectorには手を動かしているうちにアイデアが湧いてくるような、制作と思考の循環性みたいなものがある。