1月11日

新建築書店で「ポストデジタル・ドローイングの現在地」という公開ディスカッションがあった。登壇者は向山裕二さん(ULTRA STUDIO)、寺田慎平さん(w//)、そして自分。モデレーターは北海道大学の松島潤平さんと、彼の研究室でポストデジタル・コラージュを研究している中野馨文さん。僕が知る限り日本でこの分野にいちばん詳しいのはおそらく寺田くんで、向山さんは同世代のトップランナー。襟を正して臨むつもりだったが、当日着ていたトップスにはそもそも襟がなかった。

冒頭は中野さんのレクチャー。2000年代以降のポストデジタル・コラージュの展開をわかりやすく整理してくれる。DogmaOFFICE KGDVSfalaといった建築家らが、ホックニーやホッパー、映画的な構図などを引用しながら、フォトリアリズムに対抗してあえてコラージュ的なイメージを制作してきた流れが一枚の地図になっていた。学生時代にこの種の表現にもろに影響を受けた身としては単純に嬉しかった。2017年にSam JacobがMetropolisで「ポストデジタル・ドローイング」と名付けたことで、この系譜が運動として自覚された、と。興味深いのは、当初は(当時は)高性能PCがないとできなかったレンダリングを避けるための“やむを得ない選択”だった表現が、やがて意識的なスタイルになっていったことだ。

先行事例として、どうしても写真のことが思い浮かんでしまう。かつて写真の固有性は「かつてそこにあった」ものを写す点にあった。フィルムという物理的プロセスがその痕跡性を担保していたが、デジタル化でそれは崩壊する。それでも写真は死ななかったし、絵画とは依然として区別されている。新しい技術の登場で、翻って既存の媒体の固有性が自覚される、ということはよくあることだ(かつて絵画にとってアナログ写真の登場がその役割を果たしたように)。何がその媒体固有の問題で、何がそうでないのか。デジタル化以降の写真において変わらなかったのは、見る側の態度のほうだ。写真はいくらでも加工可能な不確かなメディウムになったが、依然として僕らはそれを記録されたものとして見ている。この「として」(as)が決定的に重要だ。

てなことを考えていると、どうしてもジェフ・ウォールのセットアップ写真を思い出してしまう。大掛かりな段取りを組んだフィクションであることは明らかなのに、観客はそれを「かつて実際に起こった光景の記録」として一度信じてからイメージに没入する。写真がいまだに有効なのはこの「として」(それを記録として見る観賞のモーメント)を支える態度・制度・約束事が残っているからだ。だからこそウォールやルフの写真はやたらと大きくなるし、解像度は極限まで高められる。リアリティが配置される位置が、写真のなかではなく、印画紙を眺めるこちら側へとシフトしている。

建築におけるポストデジタル・ドローイングもおそらく似た問題を抱えている。かつてリアリスティックなレンダリングが目指していたのは「これがこのまま建つ」という錯覚を見る者に与えることだった。ポストデジタル・ドローイングはその錯覚をむしろ積極的に手放そうとする。しかしそれでもなお、「これは建つものなのだ」という前提、すなわち建築「として」読まれること、は手放していない。この二重性が重要だと思う。この種のコラージュを建築以外のアーティストに見せると「ちょっとオシャレな絵だね」くらいの反応しか返ってこない。絵として見ると、たしかにそう。何も新しくはない。一方で建築をやっている人間が同じ画像を見ると、途端に様々な回路が立ち上がりはじめる。素材や色がもたらす感覚を、どのような構造・構法の裏付けのもとに画面上に配置するのか、それが身体をどう触発するか。そうした実験の場としてポストデジタル・ドローイングは機能している。建つもの”として”見ることを前提とした表現。そう考えるのが一番納得がいく(これはディスカッションをすることで得た知見だ。ありがたい)。

寺田くんがディスカッションの中でこの種のコラージュを「白模型みたいなもの」と表現していたのが印象に残っている。白模型を建築家は表現手段として扱ってはいない。仕上げや色彩を削いだ状態で、ボリュームとプロポーション、光の回り方や動線を検討するためのツール、あくまでスタディだ。ポストデジタル・ドローイングも本来はそれに近いものなのだと思う。建築家だけが共有している「建つものとして読む」というコンベンションを前提にした、悪く言えばかなり内輪な表現手法なのだ。だから、この内輪性を忘れたまま「新しい表現」「流行ってるやつ」として使いだした瞬間に、たちどころに陳腐なスタイルの消費に堕ちてしまう危険性がある。が、あくまでスタディの一環として考えるならば、すなわち描くことと設計することの循環のなかに位置付けるならば、この種のイメージ(の制作)はまだまだ有効だと僕には思える。すでに完成した建築物を再表象する場合であっても、その行為が次のプロジェクトにつながっていくならば依然として有効だろう。

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1月10日