12月27日
堀越(東京理科大学助教)に誘われて、吉村順三の旧・園田高弘邸(現・伊藤邸、1955年竣工)を見学する。茨城大学の学生も数名引き連れての、僕にとっては人生初の吉村住宅。延床70平米ほどの小住宅だが、抜群に良い。驚いた。1階は40平米。メインフロアへは段差を二段降りてアクセスする。ほの暗い洞窟のなかに入ったような感覚。かつてはグランドピアノが二台置かれていた吹き抜けと、その脇にある天井高の低いアルコーブが対照的。アルコーブ沿いは基礎のコンクリートが立ち上げられ、気合の入ったデザインの薪ストーブが取り付く。ピアノ二台をどう収めるかという切実な条件から逆算されたのだろう、空間には様々な角度の「振り」があり、それが予期しない広がりを作り出している。アルコーブの天井高は2000mmを切るかどうかといった寸法。梁が現しになり、板材が斜め貼りされているのが見える。天井を張らないことで成立する高さだが、ゆえに、板の貼り方にまで極めて繊細な意匠的配慮がなされている(もちろん斜め張りにしているのは構造的な意味合いもあるのだろうが)。階段のロジックも鮮やかで、前述したようにメインフロアはエントランスから2段下がる。このエントランスから2段上がると(つまり1階メインフロアから4段登ったところで)バスルームが振り分けられる。そこから2階までは、7、8段ほどしかなかったと思う。通常の半分程度のステップで到達してしまう感覚。1階のメインフロアを300mmほど下げつつ、同時にアルコーブの天井高をギリギリまで抑えているからこういうことが可能になる。階段を上り切ると、あれ、もうついちゃった? と身体がまだ階段を上りたがっている、ところで、二階の手すりは想定よりも低いから、重心がぐらっと下に引っ張られる。独特の浮遊感。わずかな段差で行き来できる上下のフロアは非常に緊密な関係にあるのだが、同時にどこか遠さも感じさせる。寝室の窓から外を眺めると、地面がたいそう近い。
その後に訪れたのは、ギャラリーとして公開されている原広司の粟津邸。園田邸とはきわめて対照的な、良い意味でとても形式的な、宇宙船が地上に降り立ったような建築。内外の認識が室内を動き回るたびにくるくると反転し続ける。非日常的な経験だが、ふと窓から外に目をやると、外部の斜面と自分がいる場所が地続きであることを実感させられる。建築の形式が自律的にふるまうには、その形式の採用にどこかあっけらかんとした、明快な必然性がないといけない、と思っている。そのお手本のような建築だなと思う。
この建築を引き継がれて、こうして開いていらっしゃる粟津ケンさんとも、帰り際にいろいろ話をさせてもらう。建築のひとびとが名作を前にしたときに陥りがちな「無責任な全肯定」について話題になる。保存を声高に叫び、その空間を熱心に語りはするものの、維持のための資金繰りや行政との交渉といった泥臭い実務には驚くほど無関心で、手を出さない。特権的な鑑賞者の立ち位置に留まり続けることへの違和感を、お話のなかで共有した。個人的には、建築の形式や原広司の思想に耽溺する手前に、そもそもこの場所をどう物理的に残し、運営していくかという「生存戦略」のほうにこそ興味がある。この切実な問題に真摯に向き合うことこそが、結果として、より深い建築の思想や理論へと合流していく道筋になると思う。理論も思想も、いつだって解決すべき具体的な問題、構造的な課題に差し向けられるものだ。
夜、乃木坂ハウス(岩岡先生の自宅兼事務所)にて突発的な忘年会。先生は年明け、生まれて初めてハワイに行くらしい。