私性の最後の領土

初出:建築ジャーナル2021年12月号

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私たちは目に見えない身体の痕跡を事物に残している。そして、仕事と生活を通して、他者の痕跡をどこかへ運んでいる。身体的な接触と、事物の表面を他の誰かが触れている可能性は、パンデミック下において致死的な問題に変化した。だからこそ私たちは、視覚と音声を最大限に酷使することで、触れることのない他者とのコミュニケーションを日々実践している。その範例はオンライン・ミーティングだろう。新たに主流となったこのコミュニケーションツールは、COVID-19がもたらした触覚的な危機とはまた別種の変質を、私的な空間にもたらした。

そもそも空間における私性とは何か。部屋を「私のもの」にするということは、どうして可能になるのか。マルティン・ハイデガーはかつて、指示が複雑に交錯するネットワークのなかに事物が位置づけられていることを指摘した。たとえばハンマーは釘を打つためにあるが、ハンマーや釘が共に用いられるのは、制作すべき対象、たとえば靴や時計があるからだ。そして靴や時計といった制作物は、歩くため、時を知るため、といった用途がある。こうした指示のネットワークは、ハンマーと釘、そして人間の身ぶりを有機的に結び合わせている。建築内部においても、家具や建築的要素はある目的をもった距離と近接関係でレイアウトされ、道具的なネットワークで結び付けられている。事物を構成する秩序、その全体性が、私の部屋の印象をつくっている。私の使用によって構造化された、私の所有物の布置=星座。私は事物だけではなく、事物をとりまく行動の可能性こそを占有している。

事物に振り付けられるように、身体がある一定の順序で動く。他者の部屋を訪れるということは、その部屋の住み手がほとんど無意識におこなっている一連の動作を追従・模倣することであり、それによって、他者の動きの痕跡を自分の身体に浸透させていくことだ。そのため、事物がどこにでもある量産品であっても、あるいは一週間滞在しただけのホテルであっても、その空間は「その人らしさ」をどこかで帯びる。事物のレイアウトは、ドメスティックな領域における私性の最後の領土である。

もっとも古い写真装置であるカメラ・オブスクラ(“暗い部屋”)は、部屋に空けた小さな針穴から光が入り込み、方向性のふるいにかけられた光が穴と反対側の内壁に像を結ぶという仕組みだった。かつて、カメラは部屋だった。時代は下り、19世紀にタルボットが開発した「カロタイプ」と呼ばれた写真技術が、世界で初めて写真の複製を可能にした。これは感光紙(食塩水につけて乾燥させた後、硝酸銀溶液を含浸させた紙)を小型のカメラ・オブスクラに入れて露光させ、混合溶液(硝酸銀、酢酸、没食子酸)による現像と臭化カリウム溶液による定着を経て、ネガを新たな感光紙に焼き付けることでポジ像を作るという技術なのだが、対象に跳ね返った光からプリントされた像に至るまでの工程がとにかく多いことを特徴としていた。この工程の多さ、介在する装置の多様さこそが「イメージの自動生成」というカメラがもたらす現象の特徴であり、その集合と協働の諸条件こそが写真化可能な対象を生産する。

オンライン・ミーティングの一般化は、こうした写真装置の連関のなかに「部屋」を参入させた。カメラは再び部屋になった。それは、部屋それ自体の空間構成にカメラの位置や視野角がかなり強烈に作用しつつ、私的空間に仕事場や教室といった公の視点が介入することを意味している。このカメラの介入は、パンデミック下での家庭生活の「居心地の悪さ」を加速させたひとつの要因ではないかと思われる。

家のなかで居場所を失った人はどこに行くのだろうか。ひとつの選択肢は、何らかの仕方で、都市のなかで私的な居場所を確保することだろう。例えば現在、歌舞伎町の新宿東宝ビルの横には「トー横キッズ」と呼ばれる10代の若者が集まっている。その背景には、パンデミックによって強化された家庭内の力関係と、そこに暴力的に介入する公の視点があるのではないか、と想像する。空き缶、紙コップ、ペットボトル、カップ麺、お菓子の袋。午前中に歌舞伎町を歩くと、トー横キッズたちが残した事物が点々とレイアウトされていることに気づく。それらは単なるゴミではなく、公の地面の上で、私の領域をなんとか確保しようとした痕跡である。パンデミックによるドメスティックな領域の再構築が、生活の一面を改革するにとどまらず、都市における活動へと波及することを予期させる、ひとつの象徴的な現場だ。

私たちが現在の状況を脱したときの最大の失敗は、この公衆衛生上の危機がもたらした私的な空間の変容と、都市で発生している諸問題の関係を否定し、「もとの日常」へと戻ることだ。新宿東宝ビルの横に落ちている事物は、一種の儀礼的な縄張りの痕跡であり、身ぶりとおしゃべりの記録であり、都市に投げ出された私性である。建築物がドメスティックな領域を空間的に定義するものであるとすれば、これらもまた、建築家が引き受けるべき問題となる。

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