見えない距離──アルド・ロッシの《セグラーテの噴水》

未発表(2018年)



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ミラノの郊外に、アルド・ロッシの《セグラーテの噴水》(セグラーテのパルチザン追悼記念碑と広場)という作品がある。1965年に設計された彼の処女作であり、ちょうどロッシが『都市の建築』[1]を執筆していたころに並行して進められていた計画だ。

このテキストは、《セグラーテの噴水》の分析を通して、ロッシの建築に備わる極めてユニークな身体性──〈見えない距離〉──を見出すこと目的として書かれた。

《セグラーテの噴水》

セグラーテはミラノ中心部からバスで30分ほどいったところにある町で、まさに郊外という感じの場所だ。バス停から歩いていくと、高層の団地が立ち並ぶ景色が見えてくる。日本にもありそうな、親近感がわく風景だ。

まず驚くのは記念碑と、その周辺の配置されたエレメントの適切なスケール感だ。三角噴水はおもったよりも大きい。そしてそのまわりに、子供からご老人まで、年代を問わず多くの人々があつまっていて、何やら話している。ペイブメントはここに来るまでにどこかでみたような、赤っぽい石だ。水がキラキラと輝いていて、照りつける太陽の暑さを一瞬忘れてしまった。

計画時に描かれたドローイングをみてみよう。いくつか変更点はあるものの、おおむね現状の配置計画をあらわしている。このとき、噴水を構成する「大きな円柱」とドローイング上部と左部の「小さな円柱群」が、互いに引きをとって敷地の“端”に配置されているということを覚えておこう。左右に配置される浅い水場も効いている。幾何学的な操作で、噴水を構成する幾何学的なエレメントと同じ扱いがなされていることがわかるだろう。幾何学的な「浅い水」が、道路と広場をやわらかく分節している。

この水の効果は大きい。記念碑は「思ったより大きい」ので、落ちる水は途中ではじけ、分散して水場に落ち、柔らかな音で広場を満たす。ちょうど彼が「建築を可能にするのは、はっきりとした形態が時間とエレメントとにぶつかり合うことだ」(『科学的自伝』, p.12.)[2]というように、この水の音と近所の住民たちの話し声、子どもたちがキャッキャと遊びまわる音で、幾何学的なコンクリートの塊は完全に別物へと変質しているように感じられた。大きくて重たいが、子供の玩具のような軽さもあわせもつこのモニュメントは、待合所であり、日よけであり、子どもたちのための展望台でもある。

また、ロッシは「腰掛ける」ということをとても大切にしていたのではないか、と思った。座るための取っ掛かりがいたるところにあり、そのために慎重にスケールが調整されている。この記念碑は一種の「座所のある建物 fabrica del dôm」(Ibid., p.135.) であり、いわばセグラーテのドゥオーモなのだろう。


対象=装置としての円柱

この広場で展開されているのは、端的にいえば、小さな事物=断片が集合することで”現象”する建築のあり方だ。各々の事物は都市の徴であり、記憶であり象徴であるわけだけれど、そうした意味論的な話はいったん置いておくとしよう。むしろここで指摘したいのは、断片の「対象=装置」としての側面であり、断片的な事物が離散するさいの形式的な効果である。

《セグラーテの噴水》でキーとなるのは円柱だ。噴水の構成要素であると円柱と、そのまわりに配される、プロポーションとサイズが変形された2種類の円柱(上の配置図も参考に)。

これらのちいさな円柱たちは、理由はわからないのだけど、1965年の段階では建設されなかったらしい(『a+u』の写真にはない)。未完のままストップしていたこのプロジェクトが完結するのはおよそ20年経ってからである。なんという執念だろうか。ロッシにとっては、これらの小さな円柱がそれほど重要だったのだろうか? ロッシは『科学的自伝』において、円柱について次のように述べている。

ある朝のことである。私がヴェネツィアで連絡船に乗って大運河を横切っていた時、だれかが私にフィラレーテの円柱とヴィコロ・デル・ドゥカ、そしてこのミラノの君主の勇壮なパラッツォがあったに違いないとことに建てられたみすぼらしい住居群のことを指摘した。私はこの円柱とその柱礎をいつも眼にしている。始まりであるとともに終わりでもある円柱である。けだし、時の遺物とでもいうべきこの史料は、いつでも、形態上の絶対的純粋性を宿し、それを取り巻く生活によって費やされた建築の象徴となるのだ。私はブダベストのローマ遺跡に、ある種の円形劇場を変形させたものとして、なかんずく山とあった建物を示しうるただひとつの断片として、フィラレーテの円柱を発見した。それと同じようなことだが、おそらくは、つきあいのなくなった人間に出会うのは幸運だとこれまでずっと考えてきたのと同様の理由から、私は断片が好きである。このことは、われわれ自身という断片に寄せる信頼を表している。

『科学的自伝』 pp.21-24.

「始まりであるとともに終わりでもある円柱」、「出会う」、そして「われわれ自身という断片」といった言葉は、《セグラーテの噴水》を理解するうえで重要なモチーフとなる。こうしたロッシの記述を意味論的に捉えることで「広場に配置されている小さな円柱群はいまわなき建築の痕跡を表現しているのだ」と理解してしまうのはあまりも容易い。が、同時にあまりに問題を矮小化しすぎている。ここでは「始まりであるとともに終わりでもある円柱」という問題を、あくまでも円柱群を装置としてみたときの知覚の一形式を表現したものであると捉えてみたい。

《セグラーテの噴水》において、「始まりであるとともに終わりでもある円柱」と「われわれ自身という断片」が「出会う」という言葉は、この建築における知覚経験を正確に表現している(と仮定してみよう)。これは彼が「出来事の媒体となる建築」(Ibid., p.18.) と表現することともおそらく一致する。この出来事とは、ロッシにとっては「内部と外部を同時に知覚すること」であり、「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになること」(Ibid., p.15.) である。どういうことだろうか。これらの用語をつなぎ合わせ、自然に解釈ができる読み筋を示してみよう。

出来事が起こるということは、AとBが出会うこと、そしてそれらが同時に起こるということを意味している。ここではさしあたり「異なるAとBの同時性」であるということにしておこう。これは、彼のミニチュアへの憧れ [3]──私の身体にふたつのスケールが内在すること──と軌を一にする問題だ。



距離の複数性と身体のミニチュア化

円柱がこの場所で具体的にどう知覚されるか、というところに戻ろう。まず条件として、噴水の構成要素である円柱(下の写真の手前)は、周辺に配された円柱群(下の写真の奥)よりもかなり大きいということを覚えておこう。おそらく倍以上、噴水の円柱のほうがサイズが大きかったと思う。このサイズとプロポーションの変形が引き起こすのは、距離の多重化である。

まず、実在の距離Aがある。しかしこのとき、手前の円柱(噴水の円柱)と奥の円柱(より小さな円柱)は形態が一致しているために、奥にある円柱が、手前にある円柱と同じサイズであるとみなすことができる(周辺にものさしとなる人や物がない限り、両者の規模を特定することは難しい)。つまり奥にある円柱を、実際の大きさの倍以上のサイズであると錯覚してしまうような知覚の動きを想定することができる。このとき知覚されるヴァーチャルな距離A'は、当然ながら実際の距離Aよりもはなれていなければならない。

ちなみに奥の円柱は、ちょうど座りやすいような高さで設計されている。ここに人が座っている状態、すなわち奥の円柱の周囲に、ものさしとなる何らかのオブジェクト隣接している状態を想像してみてほしい。このとき演繹されるのは、手前にある円柱のサイズが、奥にある小さな(座れるくらいの)円柱のサイズと同じであるという錯覚である。つまりさっきとは逆に、手前の円柱の大きさを縮小するような想像だ。こう認識してしまった途端に、手前の円柱に隣接する私の身体もまた一緒に縮小し、これによって身体感覚としては、円柱の間の距離がまたしても実際の倍以上に離れることになる。ロッシがコーヒー・ポットをスケッチし、しばしばそれを住宅とみなして妄想したような、そんなミニチュア化の働きが、この広場には実装されているのだ。

右に90度旋回すると、下の写真のような場面に出くわすことになる。奥に円柱がある。再び、奥にある円柱を手前にある円柱と同じサイズであると想像してみよう。先程のミニ円柱よりもこちらのミニ円柱のほうが背丈があるから、あたかも向こうの階段のうえに見えるものが、丘の上に立つ巨大な円柱のように思えてくる。奥に人がいれば、先ほどと同じように、私の身体のほうがミニチュア化することになるだろう。いずれにせよ私は、実在の距離とフィクショナルな距離、このふたつを同時に知覚することになる。

同一の形態であると同時にサイズとプロポーションが異なる断片を離散的に配置することで引き込こされる距離の多重化は、極めて重要である。実際の距離とフィクショナルな距離が識別不可能になるような局面の設計。同様の性質は、ロッシの代表作である《世界劇場》(1979年)でも指摘することができる。

『a+u』,1982年11月臨時増刊号, p.113.(左), p.121.(右)

ヴェネチア・ビエンナーレに出品されたこの建築は、18世紀のヴェニスでおこなわれていた水上劇場を再現するに、建築=船というアイデアをロッシがとったことで実現したものだ。この建築=船は、遠くからみると古典主義風であり、聖堂の塔屋を模した重々しい形態的特徴をもっていることがわかる。と同時に、この建築=船は水上でぷかぷかと浮いているのであり、その色彩と仮設性、そして単純な形態もあいまって、どこか子どものおもちゃのようにも見える(周囲を取り囲む不動の古典建築群が、ロッシの世界劇場のおもちゃ感をより引き立てている)。世界劇場は約10mの立方体に高さ6mの八角錐の屋根がかかるという規模なのだけど、これをおもちゃとしてみた場合、多分その10分の1、すなわち1m四方くらいの大きさにしかみえないはずである。たとえば、50m先からこの建築を眺めていたとしよう。しかしこの建物を1/10のミニチュアと認識した瞬間、対象との距離もまたミニチュア化し、50mあった距離は5mとなる(このとき、ヴェニスの町全体が一緒くたに1/10化してしまうことも面白い)。私たちが《世界劇場》をみるとき、実際の距離とミニチュア化した距離を同時に知覚しているのだ。

ミニチュア化をともなう距離の多重化と、それによって引き裂かれる私の身体。子どものころに多くの人が体験する「不思議の国のアリス症候群」的な身体感覚を与える空間性、といってもいい。この問題を理解する補助線となるのは、「計測できない距離」(見えない距離)[4]と「類推」──両者は同じ概念のふたつのバージョンである──というふたつの概念だ。


〈見えない距離〉──現実と空想の媒介項

ロッシの『科学的自伝』には、非常に興味深い “建築の定義” が二度登場する。

私はある燈台のこと、記憶のこと、夏のことを考えている。どうやってこうした事物の規模を定めることになるのか。そして実際、それらはどの程度の規模を有しているのか。今年、1977年の夏、私のオステリア・デッラ・マッダレーナに滞在していた。その時、そうでなければとても覚えてはいなかった会話の中で、ひとつの建築の定義がひらめいたのだ。 私はそれをこのように言葉に直した。「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた。」この文章の文脈がどういうものか自分でもわからないが、ここで新しい規模=次元が開かれたと思う。

『科学的自伝』、56頁。

「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた」。いったいどういうことだろうか。『科学的自伝』で最も重要な記述のひとつであり、最も解釈が困難な箇所でもあると思う(ロッシ自身もかなり直感的に書いているような気がする)。

左: Aldo Rossi《Il ritorno dalla scuola》(学校からの帰り), 1983

右: Studio di Aldo Rossi, Photo by Luigi Ghirri, 1988

ラ・マッダレーナ諸島の海岸沿いで燈台を見たロッシは、自宅にもどったあと、目の前にあるコーヒー・ポットと先ほどみた燈台をアナロジカルに重ね合わせたのかもしれない。少し想像してみよう。

……あなたは部屋のなかにいる。天井高はせいぜい3メートルくらいの、普通の部屋だ。あなたは午後のティータイムにエスプレッソを飲みながら、目をつぶり、今朝、海岸沿いを散歩していたことを思い出す。カモメの声、青い空、潮の匂い、学校へ向かう子どもたちの後ろ姿。ある風景を思い出すということは、無数のオブジェクトからなる布置=アレンジメントを思い出すということだ。あの子どもたちは、今ごろ道草を食いながら帰宅している途中だろうか。あの海岸。あなたは、海辺でひときわ高くそびえる10メートルの燈台を思い出すだろう。目の前のテーブルには、燈台と同じようなかたちをしたマキネッタ(コーヒポット、正確には直火式エスプレッソメーカー)が置かれている。あなたは思わず、自分の身体を縮小して、燈台(=マキネッタ)に入り込む妄想をおこなってしまうかもしれない。あなたはマキネッタのなかの螺旋階段を登って、その上部へと向かうのだ。いまや、この部屋でもっとも高い場所は、マキネッタのふたの上である。あたかも未知の都市を探索するような眼で部屋を眺めながら、ふたの上からジャンプする……

身体をミニチュア化すること。スケールを自由に行き来すること。これが「10メートル」の僕の理解だ。さて、ロッシは「部屋のもっとも高いところから一気に10メートルも落っこちた」という建築の定義を、「測れない距離」とも言いかえている。

先にある種の部屋に関連させて語ったあの空間へのまっさかさまの落ち込みに、規模とか質を測ることなどできるのだろうか。……円形劇場が都市になり、劇場が住宅になりうるとしたら、建物を一体どうやって測ればよいのか。

同書、179頁。

ロッシが「計測できない」と表現することは、「設計できない」と言い換えても問題ないだろう。建築は機能を超えてコンバージョンしうるし、私たちは家を劇場とみなしたり、目の前のマキネッタを見ながら「まっさかさまに10メートル落ちる」こともできる。そこで私が感じる「10メートル」はありありとした実感として確かにそこにあるのであり、それはこの小さな部屋で仕事をする私に、実際の規模以上の空間の広がりと、解放感と、自由を与えてくれるものだ。しかしそれは、科学的な方法では決して測定できない。

ロッシがいう「10メートル」は、ある種の「逃避」であるように思われる。それは、どうしようもなく平凡な日々の生活だったり、如何ともし難い個人的な問題だったり、仕事の行き詰まりだったりを、いっとき「忘れる」ことだ。ぼくらは、そうした「逃避の力」みたいなものによって鼓舞され、毎日の生活にひいひい言いながらも、明日も頑張ろうと思えるのだと思う。祈りにしろ、日々の儀礼にも似たあいさつにしろ、詩にしろ、歌にしろ、ダンスにしろ、スポーツにしろ、そして建築にしろ、我々の暮らしの中に存在にする「表現」なるものはその一切合財が、困難な現実をいっとき忘れさせ、それによって人を奮い立たせ、その人に本来持っている以上の力を発揮させるためにある。だから何であれ表現というものはそれ自体が、政治権力や暴力による抑圧に対抗しうる唯一の方法であり、つまりは革命的な戦いそのものなのだと思う[5]。建築はきわめて科学的な方法で、シェルターとして、私たちの生活を物理的に下支えする。それは建築の第一のアイデンティティであり、私たちの現実をつくる物理的な実体だ。一方でロッシは、妄想であれ非科学的(魔術的)な方法であれ、建築には建築自身を忘れる能力が備わっている必要があると考えた。空想によって、現実=建築を忘れること。ロッシにとって、現実と空想は、現実=建築=空想として、建築を媒介にして等号で結ばれる必要があった。彼は現実と空想を、科学的な技術と魔術的な演劇を、燈台とコーヒーポットを、両方とも愛していたのだから。建築は「10メートル落ちる」とロッシが形容する性質をもつときにのみ、単なるシェルターを超えて、人々を鼓舞する力能を宿すのである。問題は、くだんの10メートルは、はたして建築家が設計できるものなのだろうか?という問いだ。おそらくロッシはこの問いを持ち続けていたのだろうと思う。

さて、《セグラーテの噴水》の空間的な構造を規定していた「距離の複数性とその同時性」という性質は、この「計測できない距離」(見えない距離)に取り憑かれていた若きロッシのひとつの実験だったのではないだろうか、とぼくは思うのだ。ここで言いたいのは、円柱同士の錯視効果によって現象するフィクショナルな距離を重視する、ということでは決してない。現実と仮想、バラバラな距離を事実統合している私の身体がどうしようもなく残される、ということが重要なのだ。



類推、あるいは「ふりかえる弁証法」

「計測できない距離」(見えない距離)を別の側面から表現したのが、ロッシのいう「類推」であるように思う。注目すべきは弁証法と類推の、類似点と相違点である。

建築は、われわれが欲する出来事に対して、たとえそれが実際に起ころうとも起こらずとも、その媒体となる。われわれが出来事を欲するとは、その出来事がヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになることである。(……)そうであるがゆえに机や住宅の規模なるものがきわめて重要である。むろん、このことは機能主義的な考えにもとづいて、そこにひとつの決定された機能が付与されているとみなすからではなく、かえって他のさまざまの機能がそこに許されるためである。 つまるところ、人生で予知不可能なものすべてがそこに可能だからである。(Ibid., p.15.)

「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かになる」という記述の、“なる”という部分に注目すべきだ。《セグラーテの噴水》においてわれわれは、異なる規模をもった円柱のあいだで、現実の距離とフィクショナルな距離を同時に知覚することになる。散りばめられた断片によって生成された複数の距離は、私の身体というこの一点において統合されていたわけだ。これを弁証法的に表現すれば、ジンテーゼ(私の身体という統合点)からテーゼ(現実の距離)とアンチテーゼ(フィクショナルな距離)を「ふりかえっている」といえないだろうか。そしてこれが、ロッシのいう「ヘーゲル的な意味で「発展的」な何物かに“なる”」ということなのではないだろうか。事後的に、その場限りの内的必然性として私の身体が位置付けられること。

ロッシはギルバート・ライルの『心の概念』から、「類推とは、結果のみが報告されるプロセスを通してすでに了解された事柄によってかたちづくられる」という言葉を引き、「類推」を以下のように定義している。

この文章は単に建築だけではなく、科学、芸術、そして技術の上でも私にはきわめて重要に思われた。ここでは類推という考え方が、確かどこかで書いたと思うが、ユングの定義から大きく異なったかたちで表現されている。(……)先ほど私が触れた計測上の誤まりにも似て、類推とは結果のみが知られている何物かを獲得することに他ならない。言い換えれば、どうやらあらゆるプロセスにおいて実際には最終的な結果しか知られていないように思われて仕方がないのだ。(Ibid., pp.163-164.)

こうした類推の定義を図式をヘーゲルの弁証法と対比させて示すと以下のようになる。私の身体は、敷地に配置された複数の断片=円柱と結びつくことで、ヘーゲル的な意味で「発展的」な何ものかになる。

《セグラーテの噴水》で実践されていたことは、都市の瓦礫であり、粉砕した骨である円柱に対し、事後的な生を与えることであったといえよう。「始まりであると同時に終わりでもある円柱」というロッシの言葉を思い出そう。《セグラーテの噴水》の円柱はあくまでも「結果」であり「終わり」を示すものであるが、それと同時に、生成の起点ともなる「対象=装置」であった。このとき生成の媒介になるのは私自身であり、私の身体は実在の距離(現実)と仮想の距離(空想)が共存する座となる。現実=建築であり私=空想とすれば、私と建築が等号で結ばれるときにはじめて、現実=建築=空想という図式が成立する。私の身体は、私自身が住まうひとつの住居である。


建築であると“同時に”都市であるものについて、科学的であると“同時に”自伝的であるものについて、ロッシは著している。対立する二項AとBは決して混ざりあうことはなく、第三項=Xである私の身体から類推的に、遡及的に記述される。ロッシは類推という方法で弁証法を逆向きにおこなうのであり、そこにあるのは、対立項AとBのあいだを行き来する運動であった。それによって明らかになるのは、絶えず引き裂かれ多重化する私の身体=Xであり、そして、そこでの「計測できない距離」(見えない距離)こそが、ロッシにとっての「建築」だったのではないかと思う。


1 1966年に出版されたロッシの最初の著作であり、彼の方法論上の基礎をつくった。時間を超えた類型学の固定法則を求め、都市と建築の分析を試みられている。

2 Aldo Rossi: A Scientific Autobiography, MIT Press, Cambridge, Mass. & London, 1981 / アルド・ロッシ自伝, 三宅理一訳, 鹿島出版会, 1993, p.12. なお、ページ数は邦訳版のものを示す。

3 「今日でも私はこれらの大きなコーヒー・ポットを好んでスケッチする。それを煉瓦の壁体になぞらえ、内に入ることのできる建物として想い浮かべるのだ。」(Ibid., p.13.)

4  《見えない距離》については、片桐悠自氏による以下の論文を参照している。

片桐悠自: アルド・ロッシの類推概念における宗教的イメージ 論考「見えない距離」における伊勢神宮のイメージ論の分析,日本建築学会大会学術講演梗概集・建築デザイン発表梗概集, 2017, pp.393-394.

5 ちなみにこれはライムスターの宇多丸師匠がどこかの映画批評でいっていたことだ。

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