インパクト・トラッカーがいるところ

初出:「エナジー・イン・ルーラル」展(国際芸術センター青森 ACAC、2023年)[1]



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モダニズムの達成 

国道沿いの風景は産業資本主義と近代主義(モダニズム)のひとつの達成だ。スーパーマーケットやコンビニ、外食チェーン、安価な靴や服を小売する事業所、家電量販店、カー用品店、パチンコ屋などはすべて、モダニズムが理想とした空間を結実させている。われわれがうんざりするほど目の当たりにしているあの凡庸な郊外の景観こそが、一九世紀と二〇世紀に人類がすべてをかけて成し遂げた制作物=近代都市の終点だ。大仰な看板や装飾を引き剥がしてみればいい。安価で効率的に構築された鉄骨造や鉄筋コンクリート造の架構が、まったく無駄なく、一定のスパンで反復しているだろう[2]。 それらはあたかもひとつの工場かのように見えるかもしれない。その建物は、きわめて抽象的な仕方で、どこまでも線状に広がっているだろう。それは第一次世界大戦のさなかに若きル・コルビュジエが夢想したドミノ・システムや、コルビュジエが参照したアルバート・カーンによるフォード社の工場建築群、あるいはミース・ファン・デル・ローエが提唱した均質空間(ユニヴァーサル・スペース)といった近代建築の空間モデルと連続したもの、というか、それそのものである[3]。ロードサイドの風景は「近代都市」がもたらした結果であり、そこに建っているのは「近代建築」以外のなにものでもない。

しかし、青森の風景を、こうした近代特有の空間の発生とその分布の力学だけで語り切ることはできない。青森の、とりわけ下北半島において顕著なのは、中核都市圏・郊外・農地・原野・エネルギー関連施設がまだらに混在して広がっていることだ。人口密度・施設密度・空地率が極端に不均一なのだ。たとえば、いわゆる郊外的な風景から少し車を走らせると広大な農地がひろがり、そのすぐそばには手つかずの原野が残っていて、さらに移動するとエネルギー関連施設ときれいに整備された道路があらわれる……といった具合である。「田舎」と「都市」という通俗的な二項対立の図式は必ずしも正確ではない。田舎と都市を切り分けることも、郊外と田舎を混同することも、ここでは誤りである。なぜなら青森において、田舎特有の空間(農地や原野など)と近代都市を維持・拡大するために生産された空間(郊外やエネルギー施設など)は複雑に入り組みながら隣接しているからだ。さらに下北半島では、過去の歴史の偶然性と必然性の絡み合いのなかで、近代の都市化とは別種の原理によってもたらされた空間が現れつつある。異なる空間の同時性と衝突は、いかにしてこの地にもたらされたのだろうか。

下北半島の原野と風力発電



近代都市・郊外・近代建築

近代以前の都市的な環境(たとえば近世集落)は土地の「特異性」をその内部に抱え込むことで生存環境の閉域性を確保していた。しかし近代都市は、土地の特異性の包含(生産力を備えた土地の囲い込み)を放棄し、外部からの供給にほぼ完全に依存して閉域を維持・運営するという極端な戦略を採用する(外部依存性を全面化した閉域の実現)。都市域内へのエネルギー・食料・労働力・情報・技術などの過大な供給の実現は、都市化による都市域外の交通・物流インフラの整備と、それに動機づけられた土地収奪および採掘プロセスの激化を前提としている。この依存性、都市内外の交通性の過剰さこそが近代都市の顕著な特徴であり、これによって前例のない資本蓄積の場を実現しつつ、都市内部は過密になる一方で、都市外部には近代都市に都合の良い空間が際限なく生産されることになった[4]

こうしたことを記述していると、近代都市というのはあまりにも無茶なシステムであるように思えてくるが、供給網がなんらかの理由で(例えば災害で、あるいはテロで)切断されてしまうと一気に都市機能がダウンする脆弱な構造をもっているから、実際にすごく無茶な環境なのだ(後述するが、近代都市はこうしたリスクを外部にふりまく傾向をもつ)。こうした無茶な排他的システムの成立の背景にあったのは、産業資本主義の発展にともなって都市内部で発生した深刻な公害・疫病・スラム等の問題だった。内部で発生してしまった致死的なトラブルを、ひとまず観測範囲を都市内部に限定して解決するため、かなり人工的かつ暴力的なゾーニング(リスクの排出)がおこなわれたのである。前述したような近代都市の特殊な性質──強烈な外部依存性・搾取性──はこうして否応なくもたらされた。 

「郊外 sub-urb」はその名の通り、都市化(urbanization)の付随物(sub)であり、近代都市の成立と同時に、その周縁部が都市化の論理に基づいて変質した場だといえる[5]。近代都市は英国で萌芽するが、そもそもは工場制手工業(マニュファクチュア)を包摂する局地的市場圏が生まれたことに端を発していた[6]。英国で発生した新たな空間が、農村と隔絶していた中世までの都市と決定的に異なっていたのは、農村に隣接しつつ港とも近かったことだ(マンチェスターやリヴァプールなど)。そこは農村から非熟練工の一時的な調達が容易であり、なおかつ、農民がそこで物を買って帰る場所でもあった。農民はそこで、それまで自給自足するか贈与交換するかで確保していた絹織物などの商品を市場で売買することになった。

貿易依存型ではなく、ある程度自律的な再生産のシステムをもったローカルな市場(再生産圏)が漸次的に発達した先にあるのが、先に述べた公害やスラム化などの空間的なトラブルの発生であり、それを一時的に解決するための近代都市(外部依存性を全面化した閉域)の発明である。そしてこのとき、貨幣経済が近接する農村共同体に深く食い込んだことで、かつての農村は近代都市に付随する郊外へと変貌することになる。「農村に近傍する局地的市場圏」という空間システムは、近代都市と郊外を同時に発生させ、人々を労働者かつ消費者へとつくりかえた。その同時性がもたらしたのは、端的に「労働者が生産したものを労働者自らが消費者として買い戻す」ことだが、この現象がとりわけ重要なのは、この局面では技術革新による労働生産性の向上(相対的な労働力の価値の低下)が剰余価値発生のほぼ唯一の契機となるからだ(これが産業革命をもたらす構造的な動力源である)。近代都市の近傍として発生した郊外はその後、幹線道路および高速道路の発達によってその空間的近傍性を克服し、網の目状にどこまでも均質に展開していくことになる。

さて、こうしたインフラのレベルで生じた近代化へのリアクションとして生まれたものが「近代建築」である。近代建築は白紙から新しい空間を提案したわけではなく、すでに起こってしまった技術革新と都市の危機、およびそれに対する社会変革に対し、複数の新たな生産構造をひとつの建築形式で統合することで答えようとする試みだった(この順序は決して逆にはなりえない)。だからこそ、近代建築は近代特有の素材を用いているかどうかによって特徴づけられる。すなわち、鉄骨やコンクリート、ガラスといった産業化によってもたらされる材料(採掘された資源の産業的な加工をともなう建材)を用いていること。その材料が近代特有の輸送方法で運搬されていること。運搬された材料が近代特有の労働形態(賃労働)に基づき、近代特有の建設技術をベースに建設されていること[7]。郊外の風景を形成している建築群が、その表面上の見かけに反して驚くほどの均質さを備えているのは、まずもってこれらがすべて同じ材料と方法でつくられているからだ。ロードサイドの建築群の骨格=構造は、モダニズムが有していた還元主義的な(純粋化へと向かう)傾向そのものを体現している。結果として、スコット・ブラウンとロバート・ヴェンチューリが指摘したように、表面上の偶有性と構造の画一性という矛盾した性質が複合することになった[8]。産業資本主義と近代主義が世界にもたらした最大のインパクトは、土地から生活と労働を分離させる流動性にあると思われる(本源的蓄積)。都市で生活する人々は一元化された市場原理に適応しているがために、市場の外では生存が不可能となる。市場原理の外側では衣食住を満たすことすら困難だ。近代都市・郊外と近代建築は、近代化された空間と身体を再生産する一種の装置としてはたらくのである。

資本による価値創造と蓄積がなされるとき、その多くは資本の回転に内在しない資源に依拠する。資本はみずからの維持拡大のため、絶えず「外部」を生産する。しかし、それでもなおこの世界には、少なくとも青森には、郊外の「切れ目」が残されている。

郊外、たとえば



ポスト都市化のロジック──採取主義・ロジスティクス・金融

「田舎」(rural)はこうした近代主義(近代都市と郊外)の原則とは一線を隠している。青森には土地利用の未確定な領域=原野がそこかしこに存在しているからだ。しかし、現在の青森県下北半島の原野の風景は風車や太陽光パネルに占拠されつつあり、事態はより複雑になっている。そこには都市計画的なゾーニングではなく、異なるゾーンのまだらな混在がある。

資本の拡大と新たなフロンティアの開拓においては、既存の社会的差異のあいだにある不連続性と、そこでの空間的・時間的異質性が徹底的に利用される。だからこそ、近代が価値を見出せなかった(都市化の圏域外に存在する)土地がエネルギー生産地として見なされつつあるという現実は注目に値する。うまくいけばわれわれは、その風景からポスト都市化のロジックを見出すことができるかもしれない。

ここでは戦後のグローバル化と情報革命をきっかけに発生した都市基幹部(物流とエネルギー)における決定的な変化に注目してみよう。焦点になるのは、採掘=採取(extraction)とロジスティクス(logistics)、そして金融(finance)という現代の資本の動きを決定づけている重要なセクターの発展と連携だ。


産業資本主義、およびそれにもとづく近代都市の基本的性質はその外部依存性にあるという点はすでに述べた。サンドロ・メッザードラとブレット・ニールソンは、こうした資本の活動を「採取」として位置付け、さらに「リテラルな採取」と「拡張された採取」のふたつの採取概念を理論化する[9]

「リテラルな採取」は、地表や地中、生物圏からの原材料、生命体の強制的な取り出しを示す。たとえば鉱業は絶えず新たな採取の現場を切り開き、商品化可能な未開発の物質を発見し続けているが、とりわけそれらは現在の小型化された電子機器の開発・運用に欠かせない。長大な地質学的時間をかけて堆積した物質は、エネルギーへの変換や工業製品化を経て、ニューメディアとインフラの拡張による社会改変をもたらす[10]。他方でメッザードラらが「拡張された採取」として指摘するのは、たとえばデータマイニングや個人情報収集によるプロファイリング、暗号解析などである。現代社会においては、天然資源の採取だけではなく、抽象的なデータの採取、あるいは社会的協働のパタンの価値化と搾取──知識や言語、コミュニケーション、生活における不払い化可能な労働の発見・応用──が日々探索・実践されている、と。たしかにこうした活動は採取的なオペレーションによるデータの収集・保存・解析に依拠したものだ。注目すべきは、レアアースの例が端的に示しているように、狭義の採取が広義の採取を支え、逆に広義の採取が狭義の採取を求め、加速させている点だろう。物質的な採取と非物質的な採取の「オペレーションの類似性」こそがふたつの採取活動のフィードバックをもたらし、現代での資本による空間生産を動機付ける。

意外にも、再生可能エネルギーは現代の採取主義のひとつの象徴だ。太陽光や風力発電はSDGsやグリーン・ニューディールといった大義名分を背負いながら急速に拡大している。例えば現在、福島第一原発事故よる放射能被害に遭った農地には大規模な太陽光発電所(メガソーラー)が設置されていることが確認できる。地球温暖化というグローバルなトラブルを背景にした再生可能エネルギーの拡大は、土地を占拠し、その土地の未来の使用可能性を閉じている点で、採取主義のあらたな形態として見なされうる(加えて電気自動車や再生可能エネルギーへの転換はリチウムやコバルトといった鉱物のリテラルな採取を加速させる原因にもなるだろう)[11]。再生可能エネルギーは、リテラルな採取と拡張された採取の高度なハイブリッドであるとみなすべきだ。


続いて、現在進行中のもうひとつの重要な変化、ロジスティクスについて。

ロジティクス革命が進行したのは1960年代の米国だ。それ以前、すなわち50年代までの物流(physical distribution)の主題は商品の流通時間をできるだけ短縮することだった。これは資本の循環時間──資本家が剰余価値を利潤に転換することができない時間──を可能な限り短縮する、という資本主義的生産の原則にのっとっている。他方でロジスティクスという戦略的な枠組みがそれとは決定的に異なるのは、サプライチェーン(国家を超えた企業間の受発注・納品の供給連鎖)を基軸に、流通のさなかで価値のコントロールをおこなうようになったことだ。

ロジスティクスの登場の背景にあるのは、言うまでもなく、物流のグローバル化だ。というのもグローバル化は需要の不確定性を増大させるためである。不確定性は製造から販売までの時間(リードタイム)が長いほど増大する。そして需要予測が正確、かつリードタイムが短いほど、在庫保有のコスト(在庫の保管・運営のためのコスト)を抑えることができる。だからこそ、従来の物流では徹底的な製造・輸送の短縮化が目論まれたわけだが、それだけではグローバルな流通網の拡大には対応できない。ロジスティクスにおいては、たとえば見込み生産と受注生産を組み合わせ、地球規模でおこなわれる生産のリレーのさなか、需要動向を監視しつつ、生産工程を細やかにチューニングして生産量を逐一コントロールするというオペレーションが実行される。予測可能性(predictability)というパラメータが新たに追加されたわけだ。

ロジスティクスの発展が、生産─流通─交換のプロセスの高速化に必ずしも帰結しなかったことは驚くべきことだ。たとえばD. スミチ-レビらによれば、サプライチェーンにおけるロジスティクスの効率化には、コンテナ輸送に代表される経済的な包装と輸送に加え、同時処理と平行処理(複数の並列工程に分解することで、生産から出荷のリードタイムを短縮)、遅延差別化(商品のバリエーションごとの分岐点を、生産工程の後にもってくること)といったものが挙げられる[12]。これらは複数の速度への生産プロセスの分化であり、完成形がまるで予測つかない謎の断片的労働の大量発生を世界各地でもたらすものだ。加えて、現代の物流を象徴する存在であるコンテナ船における最先端は「低速航行」である[13]。ここに、グローバルな規模で輸送の効率化を徹底した結果あらわれる「速さ」と「遅さ」の分布、いわば時空間の弾力性をみることができる。アラン・セクーラとノエル・バーチによる《忘れられた空間》(2010)はまさに、ロジスティクスの「遅い」空間における労働者たちの余暇やおしゃべりの時間、あるいはそこでの搾取性を的確に捉えている。

ポスト都市化のもうひとつの重要なセクターである「金融」についても少し触れておこう。金融は資金余剰者から資金不足者への資金の融通を意味するが、より正確には、将来の生産に対する請求権または所有権の蓄積、となるだろう。金融は無数の「未来の生産の約束」をもたらす。そして、約束は達成されなければならない、とする。だから金融の発展は、世界中で定められた労働を拡大させるのだ。今日的な金融化プロセスによる投資と投機がなければ、ロジスティクスの運用も採取活動もエネルギー生産も不可能である。と同時に、こうした金融のロジックは都市とその周辺部での大衆経済活動にも深く介入・浸透しており、われわれの生活のあり方を強力に規定している。

化石燃料は古代に流れていた時間と現在をつなぎ、原子力は遥か未来へと廃棄物を送り届け、再生可能エネルギーはひたすらに現在を全面化させる。エネルギー生産は各々の生産構造に応じて独自の時間の系列を形成させ、過去・現在・未来を往還するかたちで採取的なオペレーションを作動させる。ロジスティクスは、複雑で不可視的な利潤発生の力学をともないながら、時空間を伸び縮みさせ、ときに断片化・混濁させる。金融のロジックにも同様の指摘が可能だ。こうした時間的特異性がもたらす作用こそが、近代の都市化とは別種の原理によってもたらされる現代特有の風景の生産をもたらす原動力となる。


システムが失敗するとき──むつ小川原開発計画の場合

現在の下北半島の風景をもたらした最大の要因は、1960年代から現在まで続くエネルギー関連用地の開発、いわゆる「むつ小川原開発計画」だ。より正確に言えば、当計画の「失敗」によって、である。経緯を簡単にまとめる。まずは高度経済成長期の1969年、下北半島の工業地帯開発が盛り込まれた新全国総合開発計画(新全総)が閣議決定される。田中角栄による日本列島改造論(1972年)へと引き継がれる新全総は、平たく言えば臨海型の大規模工業基地を各地の辺境の地に建設しようという構想だった。主として大都市が抱える深刻な公害問題に対処することを目的として、抜本的な高速交通ネットワーク(新幹線と高速道路)の整備とともに、大都市港湾部に集中立地していた臨海性装置型工業(鉄鋼や石油コンビナートなど)を過疎地に分散立地させる方針を定めている。新全総以降の展開は迅速で、71年にむつ小川原開発計画の第一次案が発表、72年には第一次基本計画が策定されている。計画の規模に比してあまりにも早急なマスタープラン制定の背景には、東北経済連合会を中心とする地元財界と青森県庁の積極的なはたらきがあったからだという[14]。その後、土地買収および造成工事が着々と進行するなか、73年に第一次オイルショックが、79年には第二次オイルショックが直撃し、当初予定していた石油化学コンビナートの誘致が頓挫したことで、第3セクターである「むつ小川原開発株式会社」[15]を中心に開発した5千ヘクタール強の土地の大部分が空き地のまま放置されるという前代未聞の状況へと事態が急変する。空振りに終わった石油コンビナート計画の開発推進の過程では、開発区域内の多くの住民が生活基盤(有畜農業や漁業など)を喪失するなどの影響を被るとともに、開発の賛否をめぐり村内には深刻な分裂が引き起こされた。79年からはじまった国家石油備蓄基地の建設は村民の雇用を一定程度生み出すものだったが、工事終了予定の84年が近づくにつれ雇用不安が深刻化する[16]。以上を背景に、83年末の中曽根総理大臣の発言──「下北地方を原子力のメッカに」(日本経済新聞、1983年12月9日)──があり、六ヶ所村への核燃料サイクル施設立地の可能性が表面化する。

現在に至っても多くが取り残されているこの空き地の存在が、原子力誘致の(少なくとも表向きの)主要動機となったことは確かな事実である。84年以降は、ウラン濃縮工場・低レベル放射性廃棄物埋設施設・再処理工場などから構成される核燃料サイクル施設の建設計画が具体化し、日本中の原子力発電所から排出される低レベル放射性廃棄物は92年以降六ヶ所村に集中的に埋設され、高レベル放射性廃棄物に関しても95年以降搬入される。日本全体のエネルギー生産がもたらす環境負荷が、この偶発的にできてしまった広大な空き地に一極集中的に埋設されるというきわめて特殊な状況は、こうして成立した。90年代以降もむつ小川原開発株式会社の経営は行き詰まりが続き、2000年に倒産・特別清算。同年、事業を引き継ぐ「新むつ小川原株式会社」が発足する。新会社への移行を引き金に、造成地へのクリーンエネルギーの導入が進み、2003年に大規模風力発電施設(むつ小川原ウィンドファーム)が運転を開始、2013年からは大規模太陽光発電施設(メガソーラー)が運転開始となる。

むつ小川原開発計画のそもそものきっかけとなった新全総は、前述した近代都市の原則──外部依存性の全面化──そのものである。下北半島の開発は、近代都市の維持・拡張を目的として企図された。中核部に採取した資源・エネルギーを集積させ、逆に経済発展にともなうリスクやコストを周辺部に押し付ける、というのは、産業資本主義と近代都市の基本的なムーブだ。しかし、そうした近代的な土地開発のプロセスはオイルショックというグローバルな経済危機によって破綻してしまう。システムの「失敗」こそが現在の下北半島の風景をもたらしている、という点はとりわけ注目に値する(失敗の原因となったのは、まずもって立地企業の目処がまったく立っていない状況で強引におこなわれた土地買収であり、それを成立させた金融的なプロセスである)。二〇世紀初頭に、ジャーナリスト・成田鉄四郎が鷹架沼の開削計画をしきりに提唱したように(陸奥湾運河計画)[17]、下北半島では近代的な開発プロジェクトがことあるごとに持ち上げられ、そのたびごとに頓挫してきた歴史がある(この地には「近代性」に対する持続的な抵抗力があったわけだ)。だからこそ、最終的に、誰も予想しえなかった現在の状況がもたらされたのである。


近代化による生産力の指数的な増大は、「リスク」の潜在的な可能性をかつてないスケールで顕在化させる。チェルノブイリや福島第一原発事故はもちろん、二〇世紀後半に下北半島で起こった一連の出来事も同様だ。ウルリッヒ・ベックが指摘するように、近代化がより発達した局面(人類の技術生産力の向上と社会福祉国家的な保障と法則のある水準への到達)においては、富の社会的生産と並行して、リスクが社会的に生産されるようになる [18]。そして、富の分配問題とそれをめぐる闘争と同様に、科学技術が構造的に付随させるリスクをどのような仕方で分配するか、という問題が新たに発生する。放射能はシステム上不可避かつ人間が直接知覚できないリスクだ。不可視でありつつ因果律にはのっとっているから、そのリスクは過小評価と誇張のあいだで揺れ動く。放射能は社会が自由に定義づけることができる加工性の高いリスクだと言えるだろう。当時の下北半島はこの不可避かつ不可視のリスクの「置き場所」として、政治的にも地理的にも、もっとも適していたということだ。

そもそも原発および核燃料サイクル施設は、エネルギー生産の処理が一箇所(一国)では完結しえないという構造的な特徴をもっている。グローバルな政治的・経済的緊張関係のなかで、下北半島が原子力によって「発見」されたのである。しかし現在、小川原開発計画によって生まれた空地を全面的に活用しているのは原子力ではない。再生可能エネルギー事業である。加えて、サプライチェーンを前提とした開発用地(燃料アンモニア産業、半導体・情報通信産業など)の立地や物流倉庫の導入拡大も想定されている [19]。ここで進行しているのは、近代的な都市化のロジックとは別種のグローバルなシステム(採取主義とロジスティクス)が、近代が価値を見出せなかった土地にある種の産出力を見出し、収奪していくプロセスである。世界の風景が書き換えられていく。われわれが下北半島で出会うのは、その徴候だ。


下北半島で偶発的に発生したこのプロセスは世界の各地で起こりつつある。サスキア・サッセンによると、アメリカでは2008年のリーマンショック以降、国内外の企業による(一時的に価値の下がった)市街地の土地・建物の大規模な買収がおこなわれている。アメリカを筆頭に、ハンガリーやドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国でも、低・中所得世帯の不動産差し押さえが広がっており、使われていない市街地用地が都市中心部に大量に発生するという奇妙な事態が進行している[20]。金融システムの「失敗」に端を発する特定の企業による大規模な土地買収が、都市の私有化・脱都市化をもたらしているわけだ。1990年以降の世界的な民営化と規制緩和がこうした脱都市化の傾向を助長していることは言うまでもない(若手建築家が取り組むたぐいの貧しい予算規模の仕事や、YBAsに代表される90年代以降の都市部のアーティストの活動、あるいはオルタナティブ・スペース隆盛の背景にある事情だ)。

こうした都市部の動向は、下北半島の原野に突如巨大な風力発電施設が立ち上がることと無関係ではない。いずれも、近代的なシステムの「失敗」によって局所的に生まれた無用の土地が、グローバルなネットワークの形成に絡み取られ、採取されている状況を示しているからだ。金融的なトラブルだけではなく、津波や地震によって人の営みが淘汰された土地もまた、当然のごとく資本の新たなフロンティアとなる。災害もまた、「計画」という枠組みの措定によってこそもたらされる「想定外」であり、あくまで人為的なシステムの失敗とみなすならば、構造は変わらない[21]。こうした現代の資本主義の採取オペレーションは、最終的にはあらゆる極域(海底、北極・南極、宇宙空間)へと向かうだろう。これはいわば「既定路線の未来」だ。

現在の鷹架沼


「こだわり」と「運用」

そう、「田舎」が抵抗すべきは「都市」ではないのだ。もはや都市は主戦場ではない。むしろ都市と都市の「あいだ」が主戦場である。「田舎」が抵抗するのは、ポスト都市化(金融のロジックを前提とした採取主義とロジスティクスの進行)がもたらす都市や国家を超えたグローバルな空間の再編だ。それは現在の下北半島が示しつつある未来にほかならない。

抵抗は可能だろうか? グローバルな資本主義がもたらす空間の生産という物質的なプロセスのただなかに、私は、あるいは私らは、介入できるだろうか?

採取主義とロジスティクスというきわめて強力なネットワークの構築に対峙するひとつの方法は、「所有権」を適切な仕方で用いることだ。人類学者のマリリン・ストラザーンは、ネットワークの「切断」に最も効果的なツールは所有権だと明言する [22]。例えば特許を想定すればわかりやすい。当然のことながら、ある発見に所有権があたえられるときには、所与の条件と、新しく付け加えた技術・知識・操作を厳しく分別する必要がある。所有権は、前提に対して付加した部分にのみに与えられるからだ(そうでなければ、既往研究に関わったすべての人間に所有権が分配されてしまうだろう)。所有権は、本来はハイブリッドであるネットワークを部分的に「切断」することで成立している。逆も然りで、所有権の的確な行使は、ハイブリッドの帰属性を操作する手段にもなりうる。それは必ずしも対象の所有権を個人に帰属させるものではなく、対象の所有権がどこまでおよぶのかを(例えば個人なのか、家族なのか、地域の人々なのか、人類全員なのか、といった具合に)コントロールする手段なのだ。

土地の所有権に関しては、所与の条件、すなわち既存の敷地環境に対して付け加えられた人工的な操作のありようが問題となる。ヒントは郊外にある。あらためて、国道沿いの風景は産業資本主義と近代主義のひとつの達成だ。どこまでも均質な郊外の風景のただなかで、人々はどのような仕方で、自らの環境の特異性を制作しようとしているのか。相互に必然的な連関などないまま離散している、土地へのささやかな「こだわり」とその「運用」がその答えではないだろうか(不確かな伝説、転がっている岩への謎の愛着、とくに意味のない習慣、ひとまず放置されているだけのタイヤ、パンジーを植えること……[23])。どこまでも広がる郊外のなかで、それでもそこで生きていかなければいけない人々が(私はそうだ。あなたもそうかもしれない)、意識的にしろ無意識的にしろその土地を愛するための手がかりにしているまなざしや習慣、手入れ、遊びのようなもの。それは土地の所有権を仮設的に改変する第一歩である。たとえばそれは、エド・ルシェが1960年代に出版した冊子群のなかで仮構した主体性──当時のロサンゼルスに生きていたかもしれない、やたらとガソリンスタンドが気になっている普通のアメリカ人の、無感覚的で非美的なまなざし──のようなものだ。非意味的で、非社会的で、ときに非人間的でさえありうるそれを、ジェフ・ウォールは芸術的実践によってこそ引き出される「取るに足らないものの印」(“Marks of Indifference”)と呼んだ [24]。こうした取るに足らない土地へのこだわりと運用こそが、「ネットワークの切断」の契機となる。

「領土 territory」が空間的要素と非空間的要素を併せもつ、社会的・経済的関係を組織化するための政治的技術であれば、「領土権 territoriality」は人、物、関係へのアクセスの仕方とその程度を確立する戦略であると位置付けられる [25]。資本のオペレーションによって明確な主体が不在のまま形成されてしまうグローバルなネットワークを部分的に切断・組み換えるためには、人々の土地への取り組み(こだわりと運用)を個人的なことに留めず、それを相互的かつ即興的かつ多重的に折り重ねることのできる場を立ち上げ、そこで、領土権を共同で運営・改変していく方針を吟味しなければいけない。われわれはそのために、時空間の断片化・伸縮・混濁というポスト都市化の過剰さを利用することができる [26]

そこで芸術家に課せられるオペレーションは、「取るに足らないものの印」を取り出し、開示することである。建築家や大工、弁護士、エンジニア、政治家、教育者、歴史家、評論家、グラフィックデザイナー、編集者などはそれを真に受けなくてはいけない。それから、共同性の枠組みを提示するための衝立=スクリーンを仮設し、領土権のありようを徹底的に試行してみることだ。人々が自助的に構築し、自主的に運営するひとつの閉じた経済圏・再生産圏を成立させてみること、かもしれない。その先に、理念的ではあるが、「政治的な選択の場」を地勢とするあらたな都市の可能性が見えてくるだろう [27]



1 本論は「エナジー・イン・ルーラル」展(国際芸術センター青森 ACAC、2023年)に出展した藤倉麻子の作品《インパクト・トラッカー》の一部とした展示・配布されたものである。インパクト・トラッカーとは、地表面に発生するなんらかの改変-衝撃(impact)を追跡(tracking)する存在として藤倉が想像している主体性(subjectivity)のこと。

2 標準的には、鉄骨造で10〜20メートル、鉄筋コンクリート造で6〜10メートルほど。

3 第一次世界大戦初期、ル・コルビュジエが戦争で破壊されたベルギーとフランスの街を再建することを目標に開発した建設システムであるメゾン・ドミノ(Maison Dom-ino, 1914-15)は、建築家の役割を構造体 =フレームの構築へと還元し、外壁や間仕切り壁の設置を住み手に任せるものだった。このとき重要な参照源のひとつになったプロジェクトが、アルバート・カーンによるフォード・ハイランドパーク工場などの倉庫や工場である。カーンが設計した工場では、際限なく拡張可能な柔軟で明るい環境に人間・機械・商品がすべて同じ水平面に位置づけられる、極めて均一な空間的状況が鉄筋コンクリートを用いた耐火構造で作り出された。ハイランドパーク工場では貨幣経済の基本原則が、すなわち抽象化された交換価値によって決定されるすべての事物の等価性が、見事に建築言語へと翻訳されたのである。メゾン・ドミノはそうしたフォーディズム的な空間モデルを生きる場に適応したという「事件」でもあった。

4 たとえば、ベッドタウン(エネルギー・食料生産の自給力と共同・対話の場の双方が解体された非政治的な住環境)、供給のための様々な用地(食料用地、林業地、エネルギー施設用地、インフラ用地、交通用地、資源採掘地、廃棄物処理場など)、ロードサイドビジネス(需要と消費の自己創出のための空間)などが近代都市域外は積極的に生産される。

5 P. V. アウレリが指摘しているように、「都市 city」と「都市化 urbanization」が本質的に異なる空間モデルであることには注意しよう。

Aureli: Appropriation, Subdivision, Abstraction: A Political History of the Urban Grid, Log 44, Anyone Corporation, 2018, pp.139-167.

6 大塚久雄『歴史と現代』(朝日新聞出版、1979年)などを参照。

7 西沢大良の次のような指摘を参照。「近代都市の定義とは、(1)その都市域の外から内へ供給されるエネルギーが、近代エネルギー事業(石炭・石油・ガスなどのエネルギー事業)の産物であること、(2)その都市域の外から内へ提供される食料(穀物や水など)が、近代農業・近代漁業の産物であること、(3)その都市域の外から内へ補給される労働力が、賃労働をベースにしていること。(4)その都市域の人びとに与えられる情報が、近代情報産業の産物であること、(5)その都市域の人々に与えられる技術が(建設技術から生活技術まで)が、近代技術であること、(6)その都市域の内外における(1)〜(5)の物流や流通が、近代交通や近代インフラに依存していること、である。」(西沢大良『現代都市のための9か条 近代都市の9つの欠陥』オーム社、2023年、60ー61頁)。

8 国道沿いの風景をつくる近代建築は、スコット・ブラウンとロバート・ヴェンチューリがいう「装飾された小屋」の原理に基づいている。モータリゼーション進行後の商業建築の場合、たとえば「この建物は〇〇を売っている建物です」ということを外観で明確に示し、道路から高速で移動する観測者に対して伝達する必要がある。「装飾された小屋」は、内部空間において求められる機能はそれはそれで合理的かつ簡素な「小屋」として構築しておいて、事後的に看板(ファサード)を付加するという態度をとる。これを単なる商業主義の称揚とみなすことは不正確で、むしろ建築への「複数の速度」の取り込みとそれによる形態的な分裂こそを認識しなければいけないだろう。ヴェンチューリとスコット・ブラウンが提示しているのは、ロードサイドで生じている現象の観察を通して新たに判明した近代建築のこうした性質、すなわち「複数の機能のアドホックな綜合」ともいうべき姿だった。

9 Mezzadra, S. and Neilson, B.: The Politics of Operations: Excavating Contemporary Capitalism, Duke Univ. Pr, 2019.

10 こうしたリテラルな採取の現場の最先端は農業である(たとえば大豆は、バイオ燃料、溶剤、油脂化学製品、界面活性剤、塗料、印刷インキ、ポリオール、熱硬化性プラスチック、エラストマー、ゴム、可塑剤、接着剤、紙、繊維、潤滑油などといった用途がある)。農業技術のグローバルな拡大と農地のかつてない大規模な拡大は生物多様性に深刻な影響を与え、地中環境と地表面のランドスケープを劇的に変容させるだろう。

11 現在まで続く再生可能エネルギー導入の波を促進させたきっかけは数多くあるが、とりわけ2012年の固定価格買取制度(FIT制度)の施行は大きな影響力をもっていたと考えられる。FIT制度は、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)を用いて生産された電力を、電気事業者に固定価格で一定期間調達するよう義務づけたもの。

12 D. スミチ-レビほか『サプライ・チェインの設計と管理』(朝倉書店、2017年)などを参照。

13 現在、コンテナ船は大型化(容積の最大化)と低速航行(エネルギーコストの削減による節約とバンニング・デバンニングの効率化)の両方が進んでいる。

14 舩橋晴俊ほか『巨大地域開発の構想と帰結―むつ小川原開発と核燃料サイクル施設』(東京大学出版会、1998年)、17頁。

15 公的性格と民間組織の両方の性格をあわせもった第3セクター。なお、当初の資本金は15億円で、主な出資者は青森県10%、国が40%、民間企業150社が50%。本社の所在地は一貫して東京である。

16 舩橋晴俊ほか、前掲書、40頁。

17 成田鉄四郎『陸奥湾之将来』(陸奥運河期成同盟会、1964年)および河西英通『東北ーつくられた異境』(中央公論新社、2001年)を参照。

18 ウルリヒ・ベック『危険社会: 新しい近代への道』(法政大学出版局、1998年)、14ー17頁。

19 令和4年度 むつ小川原開発推進調査 報告書 https://www.mlit.go.jp/common/001394749.pdf

20 サスキア・サッセン「都市のパーツ買い?」『ポストアーバン都市・地域論』(ウェッジ、2019年)、296ー308頁。

21 岡崎乾二郎が端的に述べている箇所を引用する。

「災害は都市計画(そしてそれに従ってなされた基盤構造こそ)が作り出す。ある災害が起こると、それを防御するように「もっと強い」都市が計画される。が、これは制御されうる領域とその外部の領域の境界を結果として強化することになり、かえって外部とのポテンシャルの差を大きくし、災害を大きくする。……強さはある対象への強さであり、それがほかの意図から外れたものへの弱さになる」(岡崎乾二郎『感覚のエデン』(亜紀書房、2021年)、151頁)。

22 Strathern, M.: Cutting the Network, The Journal of the Royal Anthropological Institute, Vol. 2, No. 3 (Sep., 1996), pp. 517-535.

23 山内朋樹「なぜ、なにもないのではなく、パンジーがあるのか──浪江町における復興の一断面」『アーギュメンツ3』(アーギュメンツ、2018年)、2ー17頁。

24 ジェフ・ウォール「取るに足らないものの印 コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相」(1995年)『写真の理論』(甲斐義明編訳、 月曜社、2017年)、137ー141頁。ルシェの作品に関しては、”Twentysix Gasoline Stations” (1963)などを想定している。

25 Elden, S.: The Birth of Territory, The University of Chicago Press, 2013.

26 たとえば、サプライチェーンの中途に市場原理が適用されない例外的な場を挟み込む、とった戦略などが考えられるだろう

27 ここで筆者は仮説として「政治的な選択の場を地勢とする都市」と言っているが、たとえば、資本主義的な自由競争の場と労働者が自治的に運営する場が軽やかに「スイッチ」できるような構造をもった都市空間の可能性を念頭に置いている。ある区画に入ると、あるいはある建築物に入ると、資本主義とは別の経済システムが「例外」として運営されている、という状況。たとえば市場原理(貨幣と商品による商品交換)を主とする都市空間のなかで、ある区画に一歩足を踏み入れると贈与と返礼の互酬がはじまる、という軽やかなスイッチ性。複数の経済システムの「切り替え可能性」を担保しうる空間的なアイデアの実現こそが重要であると、筆者は睨んでいる。

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