麻子 大村 麻子 大村

《IN-BETWEEN》への補足

First presented: 第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展

JP|EN

この文章は、第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館《IN-BETWEEN》での、藤倉麻子と大村高広による映像インスタレーションの補足資料である。ここでは主に、制作の背景にある問題意識が記されている。藤倉と大村は一貫して近代特有の貧しい風景や経験のうちにある楽園的な調和への道を模索してきた。《IN-BETWEEN》で実践される「フィクショナルな改修」もまた、硬直した現実を再想像するためのひとつの方法である。

大村高広


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近代都市

近代以前の都市的な環境は土地の「特異性」を包含すること(すなわち生産力を備えた土地を囲い込むこと)で生存環境の閉域性を確保していた。それを放棄したのが「近代都市」だ。近代都市が採用した戦略は、外部からの供給にほぼ完全に依存し閉域を維持・運営するという極端なものだった。しかしそれは、都市化による都市域外の交通・物流インフラの整備と、それに動機づけられた土地収奪および採掘プロセスの激化を前提としてもいた。この依存性、都市内外の交通性の過剰さこそが近代都市の特性であり、これによって前例のない資本蓄積の場を実現しつつ、都市内部は過密になる一方で、都市外部には近代都市に都合の良い空間が際限なく生産されることになった。ベッドタウン(エネルギー・食料生産の自給力と共同・対話の場の双方が解体された非政治的な住環境)、供給のための様々な用地(食料用地、林業地、エネルギー施設用地、インフラ用地、交通用地、資源採掘地、廃棄物処理場など)、ロードサイドビジネス(需要と消費の自己創出のための空間)などがそれである。産業資本主義の発展にともなって都市内部で発生した深刻な公害・疫病・スラム等の問題は、こうした排他的システムの成立によって場当たり的に対処された。


郊外

「郊外 sub-urb」はその名の通り、都市化(urbanization)の付随物(sub)であり、近代都市の成立と同時に、その周縁部が都市化の論理に基づいて変質した場だといえる。近代都市は英国で萌芽するが、そもそもは工場制手工業(マニュファクチュア)を包摂する局地的市場圏が生まれたことに端を発していた。英国で発生した新たな空間が、農村と隔絶していた中世までの都市と決定的に異なっていたのは、農村に隣接しつつ港とも近かったことだ(マンチェスターやリヴァプールなど)。そこは農村から非熟練工の一時的な調達が容易であり、なおかつ、農民がそこで物を買って帰る場所でもあった。農民はそこで、それまで自給自足するか贈与交換するかで確保していた絹織物などの商品を市場で売買することになった。貿易依存型ではなく、ある程度自律的な再生産のシステムをもったローカルな市場(再生産圏)が漸次的に発達した先にあるのが、先に述べた公害やスラム化などの空間的なトラブルの発生であり、それを一時的に解決するための近代都市(外部依存性を全面化した閉域)の発明である。このとき、貨幣経済が近接する農村共同体に深く食い込んだことで、かつての農村は近代都市に付随する郊外へと変貌することになる。「農村に近傍する局地的市場圏」という空間システムは、近代都市と郊外を同時に発生させ、人々を労働者かつ消費者へとつくりかえた。この同時性がもたらしたのは、端的に「労働者が生産したものを労働者が自ら消費者として買い戻す」ことだが、この現象がとりわけ重要なのは、この局面では技術革新による労働生産性の向上(相対的な労働力の価値の低下)が剰余価値発生のほぼ唯一の契機となるからだ(これが産業革命をもたらす構造的な動力源である)。近代都市の付随物として発生した郊外はその後、幹線道路および高速道路の発達によってその空間的近傍性を克服し、網の目状にどこまでも均質に展開していくことになる。


ロードサイド

国道沿いの風景は産業資本主義と近代主義(モダニズム)のひとつの達成だ。スーパーマーケットやコンビニ、外食チェーン、安価な靴や服を小売する事業所、家電量販店、カー用品店、パチンコ屋などはすべて、モダニズムが理想とした空間を結実させている。なぜそう言えるのか。このロードサイドの風景こそが、近代都市と郊外の同時性を担保し、都市域内への、都市域外からのエネルギー・食料・労働力・情報・技術などの過大な供給を実現しているからだ。われわれがうんざりするほど目の当たりにしているあの凡庸な郊外の景観こそが、一九世紀と二〇世紀に人類がすべてをかけて成し遂げた制作物=近代都市の終点なのだ。大仰な看板や装飾を引き剥がしてみればいい。安価で効率的に構築された鉄骨造や鉄筋コンクリート造の架構が、まったく無駄なく、一定のスパンで反復しているだろう。その建物は、きわめて抽象的な仕方で、どこまでも線状に広がっているだろう。これこそが「近代建築」である。


ロジスティクス

ロジスティクス革命が進行したのは1960年代の米国だ。それ以前、すなわち50年代までの物流の主題は商品の流通時間をできるだけ短縮することだった。他方でロジスティクスという戦略的な枠組みがそれとは決定的に異なるのは、サプライチェーン(国家を超えた企業間の受発注・納品の供給連鎖)を基軸に、流通のさなかで価値のコントロールをおこなうようになったことだ。ロジスティクスの登場の背景にあるのは、言うまでもなく、物流のグローバル化だ。というのもグローバル化は需要の不確定性を増大させるためである。不確定性は製造から販売までの時間(リードタイム)が長いほど増大する。そして需要予測が正確、かつリードタイムが短いほど、在庫保有のコスト(在庫の保管・運営のためのコスト)を抑えることができる。だからこそ、従来の物流では徹底的な製造・輸送の短縮化が目論まれたわけだが、それだけではグローバルな流通網の規模には対応できない。ロジスティクスにおいては、たとえば見込み生産と受注生産を組み合わせ、地球規模でおこなわれる生産のリレーのさなか、需要動向を監視しつつ、生産工程を細やかにチューニングして生産量を逐一コントロールするというオペレーションが実行される。
こうしたロジスティクスにおける中枢的な操作は、もはや単なる物理的な輸送工程にはなく、事物の動きを数値や言語に変換=記述し、その記述にもとづいて現実を調整・操作することにある。需要の予測、生産の指令、配送の最適化──それらはいずれも、かつて人間の身体的な応答性にもとづいて行われていた判断を、身体なき知性によるオペレーションへと置き換えていくプロセスにほかならない。


生成AIと自然言語

生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)の登場は、自然言語そのものを計算機操作の入り口とする新たな道を切り開いている。しかしそもそも自然言語は、身体をもつ話者同士が文化的・歴史的文脈のもとで交わしてきた、極めて身体依存的な対話・記述媒体だったはずだ。

例えば「重い」によって引き起こされる漠然としたあの感覚は、過去に石やダンベル、机、風船、皿、など無数の事物を実際に持ち上げたときの体験によって獲得された感覚に基づいている。すなわち「これはかなり重い」という一文は、「重い」という線画/音が指示あるいは喚起する仮想的身体運動(virtual embodied simulation)である。これは単なる比喩ではない。1990年代に入り脳の非侵襲計測(PET、fMRT、MEG等)が進んだ結果、人がイメージ(想像)するときに活性化している脳の部位と、実際にその活動をする際に活性化する脳の部位が基本的に同じである、ということが実験的に確認されている。言語は、極端に圧縮された情報形式であると同時に、受け手の身体を通じて膨大な知覚的像を生成する情報喚起装置でもある。

他方、現行のLLMが行うのは過去の膨大な言語データにもとづく確率論的なパターン予測にすぎず、その生成プロセスには現実世界との感覚的な接地(grounding)が欠如している。こうした記号と現実との断絶はロジスティクスが生み出す空間にも通底し、我々の生活の隅々にまで浸透している。だからこそ人間には、AIが出力する意味の偏差や現実との齟齬を、自身の身体的有限性と経験を通して読解・補完し、適切な方向づけを行うことが求められる。


環境に埋め込まれた知性

生成AIの進化が次に示唆するのは、AIが人間とは異なるかたちで「身体性」や「場所性」を獲得することだ。センサーやカメラ、アクチュエータなどと連携するAIは、環境に応答する非人間的主体群のふるまいを相互応答的に調整する存在となりうる。環境それ自体が情報処理と反応の能力を帯びるとき、建築や都市は単なる舞台装置ではなく、能動的な知覚応答者となる。もちろんそれは、制御困難なテクノロジーへの依存や、行為主体の不透明化といったディストピア的リスクを孕むが、同時に「あらゆるものが身体となりうる」という、新たな希望のかたちを示しもする。

環境に埋め込まれた知性の鍵となるのは、「イメージ(感覚に根ざした内部表象)」と「記号表現(言語や図像)」を接続する感覚−記号連関の構造だ。たとえばAIを搭載したドアノブを考えてみよう。人の手が触れる圧力、温度、回転といった触覚的データが、AIにとっての「感覚入力」として作動し、AI内部で生成された「内的表象」(≒イメージ)が生成される。そしてそれが、次の応答や言語反応へと反映されていく。

このような感覚と記号の往復的な回路を通じて、AIと人間、あるいはAIと物理環境とのあいだに「対話」が生まれる。それは論理的な言語交換ではなく、互いの感覚構造を想像しあい、翻訳を試みる生成的プロセスである。


中立点と庭

人間と非人間、あるいは異なる知性同士が、その通訳不可能性を温存したまま「共にある」ための時間と空間を、ひとまず中立点と呼んでみることとしよう。それは、理解や共感をたやすくさせる場ではない。そこにあるのは、誤配や摩擦、そして個々人が抱える孤独のどうしようもなさを引き受けた上で、それでも関係を続けようとする意志によってかろうじて立ち上がる、不安定な関係性だ。

中立点をかたちにしてきた、古くて身近な空間形式が庭である。庭は、異なる主体の通約不可能性をひとつの囲いの中に形式的に並置する技術だ(と同時にこの囲いが、選別と排除の価値判断の境界線を設定する、きわめて政治的な装置でもあることを忘れるべきではない)。植物をはじめとした諸事物が能動性を発揮し、勝手に育っていく。風で石は動き工作物は風化する。すべてが次第に遷移していく。そうした状況に抵抗するように、人間の「手入れ」が、時間と空間をあるところまで巻き戻す。その緊張関係によって生じる人工とも自然ともいえないようなリズム(季節、発芽、剪定、腐敗……)は、そこに関わる人間らに、経済的利益を越えた結びつき(共同性)を要請もするだろう。

気候変動、ロジスティクス、採掘主義──そうした現実はいずれも、地球規模で展開されるネットワークの変動過程であり、その全体像を個人が把握することは困難である。しかしだからこそ私たちは、そうしたプロセスの局所的な現れを自身の身体と感覚を介して受け取り応答していくための接触点を持たなくてはいけない。それは「乗り越えること」でも「設計すること」でもなく、そのずっと手前にある、微細に繰り返される接触・記述への意思と動作のなかにしか生じ得ない。ひとまず対話を続けること。すべてが尤もらしさで決まっていく世界のなかで、私たちは、噛み合わない声と声のあいだに留まることも選べる。

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